「わたし」でいるための物語

わたしでいるための勇気を持つ。ひとりひとりの物語がある。

大人だってそうなんだよ

アドラー

自由の力を信じる

働いている人が何をモチベーションにするかと考えたとき、大きな要因になるのが『自分の能力が高められること』です。延々と言われた通りの仕事ばかりをして自分が成長していると実感できなかったら、きっと徐々にやる気をなくしてしまうでしょう。チャレンジできるような課題を与えられたり、できなかったことができるようになったり、自分の能力が開発される機会を得られることが、従業員の大きなモチベーションにつながるのです。

 

学ぶ上で最も大切なのは、自分で考えることです。コーチングでは相手に指示や命令は一切行いません。目標を達成するために何をすべきなのか。質問を投げかけ、その答えを自ら導き出させるのです。そして、相手が目標に向かってどのように進むのかを常に見ながら、もし方向がずれてしまったら修正するために新たな質問を投げかける。そうして寄り添いながら目標を達成させるのがコーチの役割です。

最近のマクドナルドが強い背景にはこんなこともあったんですね。

勉強する子供にも、大人同様に本当に力が出るように、そしてその子が自ら考える力をつけていくように導くのは同じだと思います。

もしかしたらこんな話をしても理解してもらえないかもしれませんが、自分にできることをするしかない、ということで諦めずに発信します。

自分に置き換えてみて

母さん。よそのお母さんはもっとこんなに頑張っているよ。もっとこんなに素敵だよ。なのにお前は何なの?

お父さんはダメね。あのお宅のご主人は素敵。

なんて、他人と比べられ嫌味を言われて「よし頑張ろう。」「そうだね。自分はダメだったね。」と素直になれますか?

本当の「わたし」を誰も理解してくれない寂しさ。孤独。辛さ。

大人だってわかると思うのですが、その苦しみを子供に味合わせたいですか?

他人の子と比較したり、期待を押し付けるだけで、本当に子供が素直に「やる気」になったり「結果を出す」と信じているのですか?

僕が妻に言われたら、猛反発しますけどね。(笑)

至らないことだらけかもしれない、それは自分がよく分かっている。

けれど、比較されたりしたら傷つくだけです。

すねてしまいますね。

「課題の分離」のまなび

アドラーが言う「課題の分離」とは、まずは問題や課題が誰のもので、誰がそれに対処できるのか?ということを考えることからスタートします。

子どもの勉強も「頑張ってほしい」「期待している」「私が苦労した分、子どもには苦労させたくない」という親御さんの気持ちはよく分かります。

しかし、勉強を実際するのは子供ですから、親御さんが何とか子どもを勉強させようと「直接的に働きかける」ということは難しいのです。

命令や脅し、自由を奪い、従わせるといった非民主的、非人道的なやり方を持ってすれば別ですが。それはほぼ虐待に近い発想ですよね。

以下は船戸結愛ちゃんという虐待で幼い命が奪われたケースです。

県の職員は「5歳児に対して、父親が過大な期待をしていた。とにかく養育や作法について、強いこだわりが見えた」という。

細かなこだわりは、結愛ちゃんの言動からも推し量られた。結愛ちゃんは職員に対し「勉強しないと怒られるから」と伝えていた。

人に会うときは、しっかりおじぎをして、あいさつをしないといけない。

ひらがなの練習をしないといけない。

はみがきは自分でやり、怠ってはいけない。

太りすぎてはいけない。

また、雄大容疑者は体重に対しても異常に気にするそぶりがあり、優里容疑者に「子どもはモデル体型でないと許さない。おやつのお菓子は、市販のものはダメだ。手作りしろ。野菜中心の食事を作れ」と言っていたという。

また、一時保護を解除したときにした「祖父母の家に定期的に預ける」という約束も、「祖父母は子どもを甘やかす。歯磨きすら一人でできなくなる。だからもう行かせたくない」などと言い、だんだんと預けることがなくなったという。

抜粋:HuffPostより

これって一見すると親御さんが可愛い我が子のことを本当に想っていた、と捉えられる節もありますよね?

立派な大人になってほしい、とどんな親でも思っていることです。

勉強や高校受験というときに、親御さんは同じ気持ち・考えではありませんか?

しかし、課題の分離をしないで暴走してしまったら??

結愛ちゃんがされた苦痛と同じ苦しみを、大切なお子さんに与える危険だってあるということですよね。

高校受験を通じて、お子さんが生きる希望や勇気を失い、恐れだけになり、反抗することも諦め、ただ従うしかないと考えるようになったときに、親御さんは本当に心の底から気分が良いですか?

それは自分の期待が実現するからでしょうか?

それを実現させたら親として、立派だと思えるからでしょうか?

はじめからお子さんの人生を「支配したい」「自分の期待通りに生きさせたい」「自由など許せない」「反抗などさせずに親の言う通りに生きさせたい」というのならば、私がなにを言っても無駄ですが。

そうではなく、お子さんに本当の自信をつけさせたい、自分で考える力、生きる力をつけて、成長してほしい、と願っているのならの親御さんの出来る応援の形は沢山あるはずですし、子供の心を傷つける行為はリスクが高すぎます。

大事なことほど、見えないことが多い

私がこのような話をすると

何もしないで放っておくのか?

親の無責任と世間から非難されないか?

そんな声もチラホラ聞こえてきます。

しかし、放っておくのではありません。

課題の分離をして、子どもの領域に土足で踏み込むのではなく、親御さん自身で出来る精一杯のことをして応援する、ということです。

親御さん自身の課題、問題、コントロール可能なことを見極めて、あらゆる努力をする、ということをお伝えしています。

そしてその行為というのは、口を出したり具体的な行動を起こすとしても、やり方や言い方、伝え方やタイミングなど親御さんの選べる選択肢は沢山ありますよね。

さらに見える形の行為ではなくても「我が子を信じる」「じっと待つ」「見守る」といった心の行為、理性の行為も含めれば、実際に大きな助けとなり子供に勇気を与えられる選択肢は沢山あります。

課題を分離しても、親御さんが出来ることは本当にたくさんのことがあるのです。

目に見えないことは、すぐに変化が見えないことなので「意味があるのか?」と自問自答することもあると思います。

そういう親としての「苦しみ」「悩み」は、他人にも見えないので理解してもらえないかもしれません。孤独かもしれません。

しかし、誰よりもそばで見ているのは、お子さんだと私は信じています。

お子さんは敏感に感じ、理解するはずです。

最後に

私は、こういう話をするたびに「親御さんたちの考えを否定し非難しているのかもしれない」「私自身、課題の分離をせず親御さんたちの領域に踏み込んでいるのかもしれない」と自問自答しています。

しかし多くのお子さんを応援させてもらっている立場なので許して頂けたら、と願っています。

預かっているお子さんが、自分で考え、本当の自信が育ち、大きく飛躍することになる、と考えているからです。

この考えが全ての人に受け入れられるとは思いませんが、私はこう信じ塾をしております。我が子の子育ても、この信念を持っております。

家庭ごとに様々な考えがあることも承知しています。でも、塾の在り方を正直にお伝え、どういう方向性で指導しているのかをお伝えしていくことは義務だと思っています。

こんなサイトもありましたので最後にご紹介します。